こんにちは!
今回は、戦国時代に生きた3人の姫たち「 浅井三姉妹 (あざいさんしまい)」にスポットを当ててご紹介します。
前回の記事で浅井長政について触れましたが、彼と織田信長の妹・お市の方の間に生まれた三姉妹は、時代の波に巻き込まれながらも、それぞれの人生を力強く歩んだ女性たちです。
🔶浅井三姉妹とは?

- 長女:茶々(淀殿)
- 次女:初
- 三女:江(ごう)
信長の妹・お市の方と、近江小谷城主・浅井長政の間に生まれた3人。
浅井家が織田信長に敗れたことで父は自害、母・お市の方も後に壮絶な最期を迎えます。そんな中、三姉妹はそれぞれ異なる運命をたどっていくことになります。
💎茶々(淀殿)──豊臣秀吉の側室、母としての戦い
浅井三姉妹 の長女。父・長政の死後、織田家に引き取られた後、豊臣秀吉の側室となります。
「淀殿(よどどの)」として知られ、息子・豊臣秀頼を産みますが、大坂の陣で徳川軍に追い詰められ、息子と共に命を絶ちました。
見どころ視点:
大阪城とともに語られることが多い彼女ですが、そのルーツは滋賀の小谷城。長浜の地から、大坂城の母となったドラマ性に惹かれる人も多いはずです。
💎初──波乱の中でも平和を望んだ女性
次女・初は、近江の名家・京極家に嫁ぎます。
実は、夫・京極高次は徳川家の家臣として活躍する人物で、秀吉と徳川の間で揺れ動く中、初は「徳川寄り」の立場で兄弟姉妹とは違った道を歩みます。
注目ポイント:
初は晩年を近江(滋賀)で過ごしたとも言われており、長浜ゆかりの地としても知られています。姉妹の中でも最も穏やかに生涯を終えたとも。
💎江(ごう)──3度の結婚を経て、徳川家の母へ
浅井三姉妹の末っ子・江は、波瀾万丈な人生を歩んだことで有名です。
2度の離縁を経て、最終的には徳川秀忠の正室に。つまり、徳川家光の母となり、のちの江戸幕府の礎を築いた女性のひとりでもあります。
江が歩んだ道:
浅井家 → 織田家 → 豊臣家 → 徳川家という、まさに戦国の縮図のような人生。
滋賀の地で生まれたこの姫が、のちに天下人の母となるとは、当時の誰が想像したでしょうか。
🌿三姉妹ゆかりの地を歩いてみよう

昨日の記事でも少し触れましたが滋賀県長浜市には、三姉妹の出発点「小谷城跡」があります。
彼女たちにゆかりが強い街として
「道の駅 浅井三姉妹の郷」という名前からして気になるスポットも!!
ここでは、地元の新鮮な野菜や特産品が手に入るほか、三姉妹にちなんだお土産や展示コーナーも。実はカフェも併設されていて、ドライブの休憩にもぴったり。
歴史好きな方はもちろん、「女性の視点で歴史を感じたい」人にもおすすめのスポットです。
✨さいごに
浅井三姉妹は、単なる「有名な武将の娘たち」ではありません。
自らの生き方で時代に影響を与えた、芯の強い女性たちでした。
長浜を旅する際は、そんな三姉妹の“はじまりの地”を巡って、戦国時代の空気を肌で感じてみてはいかがでしょうか?
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